ページ番号 1002399 更新日 令和2年4月9日
延宝8年(1680年)に造立された市内最古の庚申塔で、多摩地域においても初期に属するものです。江戸時代に盛んだった庚申信仰のために造られ、当時の小山村の人々の名前が刻まれています。
宝暦7年(1757年)に造立された庚申塔で、側面には「南保谷村 田無村道 西前沢道 東清戸道」と刻まれ、市内で最も古い道標(道しるべ)ともなっています。横には文化元年(1804年)の常夜塔があります。
もと下里村の所沢街道ぞいにあった天保9年(1838年)に作られた馬頭観世音塔です。道標もかねており、板橋・八王子・四谷・川越へそれぞれ5里の距離にあたるので、「ゴリゴリ馬頭」と呼ばれて親しまれていました。
3人の童子がすがりついている、嘉永2年(1849年)に造立された地蔵菩薩。台座には寄進した多くの人々の名前がみられます。
市内で唯一の不動明王で、文政9年(1826年)に造立されました。上部に不動明王座像が刻まれ、側面には「落合邑」という当時の村名もみられます。
江戸時代に飢饉のために作られた穀物の貯蔵庫で、もと下里にあったものを移築して保存してあります。
経年劣化により倒壊の危険があったため、令和元年度、ふるさと創生基金から修理費補助を行い、古材等で接ぎ木をする等の修復を行っています。
黒目川に架けた石橋の供養塔の前に、かつて小山村の若者たちの力比べに使われた力石が3つ並んでいます。一番大きな石には四拾五貫(約170キログラム)と彫られています。
嘉永2年(1849年)に造立された弁財天碑。湧水や川のそばにあり、水の神として親しまれています。笠の部分に宝船などの彫刻がされています。
文化9年(1812年)に造られた市内唯一の石幢六地蔵で、六面体の石幢に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の地蔵菩薩がそれぞれ刻まれています。
旧延命寺跡門前に並ぶ法印権大僧都亮孝墓塔、地蔵菩薩3体及び庚申塔の石造物5体です。墓塔は寛政7年(1795年)の造立で保存状態もよく、上部に如来像のある珍しい石造物です。
旧秩父道(所沢街道)に面した路傍に立つ地蔵菩薩石像(高さは約195センチ)です。台座には宝暦10年(1760年)の造立年や「武州多摩郡前澤村」の村名と願主の他に、両側面に56人の村人の寄進者名がみられます。後ろには銘のない地蔵菩薩石像が置かれており、親子地蔵と呼ばれて親しまれています。また、覆屋(おおいや)も大正期のものです。
江戸時代後期の造立と考えられる地蔵菩薩石像です(高さは約150センチ)。横には市指定文化財の庚申塔(明和元年・1764年)と石橋供養塔(明和6年)がならんでいます。当時の村名の「柳久保村」が刻まれており、旧柳窪集落の路傍にありましたが、現在は長福寺へ移設されています。
このページには添付ファイルがありますが、携帯端末ではご覧いただけません。
添付ファイルをご覧いただく場合は、パソコン版またはスマートフォン版ホームページをご覧ください。
教育部 生涯学習課 文化財係
電話:042-472-0051
〒203-0033東京都東久留米市滝山4-3-14 わくわく健康プラザ2階
Copyright(C)Higashikurume city.All rights reserved.